2009年11月10日
水資源機構
発足までの経緯
戦後の河川開発は主に治水を中心とした河川総合開発事業に基づく開発であり、これに基づき特定多目的ダム法が1957年(昭和32年)に制定され、河川管理者である建設大臣(現・国土交通大臣)による一貫的な施工・管理が実現した。一方利水に関しては1947年(昭和22年)に農林省(現・農林水産省)が『国営農業水利事業』を展開し、加古川や九頭竜川等で大規模な河川開発が行われた。また愛知用水が愛知用水公団によって建設され、慢性的な水不足に悩まされた知多半島に用水を供給する事業展開を行っていた。
だが上水道に関しては東京都水道局が小河内ダムを1957年に完成させた他には大規模な水道施設は建設されず、系統的な水運用が図られた訳でもなかった。加えて戦後の急激な人口増加と工業生産の飛躍的発展は水利用の増加を促し、次第に水需給のバランスが崩れ水不足に悩まされる地域が増加した。折から高度経済成長に突入する事もあって、首都圏や関西圏などの大都市圏は京浜工業地帯や阪神工業地帯などの「四大工業地帯」の拡大とあいまって集中的・加速度的な人口増加が将来的にも見込まれた事から、系統的かつ安定的な水供給が可能な河川総合開発の必要性が生じた。
水資源開発公団の発足
1961年(昭和36年)、従来の多目的ダムに産業発展の為の利水目的を増強するため、自然湖沼や用水路・堰などを総合的に運用する事で系統的な利水供給体制を整備するための法整備が行われた。これが「水資源開発促進法」であり、事業を進めるための執行機関の骨格を定めた「水資源開発公団法」と共に国会で可決・成立した。そして翌1962年(昭和37年)5月1日に両法は施行され、ここに水資源開発公団が発足した。
公団発足と同時に首都圏の水源である利根川水系と、阪神圏の水源である淀川水系が重点的な水資源開発を行う水系、「水資源開発水系」に指定された。これと同時に建設省(現・国土交通省)が施工していた矢木沢ダム(利根川)・下久保ダム(神流川)・高山ダム(名張川)・宇陀川ダム(後の室生ダム。宇陀川)が公団に事業承継された。これ以後水資源整備の基本方針である「水資源開発基本計画」(フルプラン)を策定し、計画に基づいた新規のダム・堰・用水路建設が行われた。また愛知用水公団を統合し愛知用水と豊川用水の管理も実施した。
1964年(昭和39年)には筑後川水系、1965年(昭和40年)には吉野川水系、1966年(昭和41年)には木曽川水系が水資源開発水系に指定され、名古屋市を中心とした中京圏や福岡市を中心とした北部九州、慢性的な水不足に悩まされた四国地方の水資源開発が行われた。さらに人口の上昇に歯止めが掛からない首都圏の水需要確保の為に1974年(昭和49年)荒川水系も開発水系に指定され、利根川水系と統合した水資源開発が行われた。水資源開発水系は1990年(平成2年)の豊川水系が最後となるが、ここまでの間に多くの施設が建設された。
こうした水資源整備によって長年に亘り水不足に悩まされた地域への安定した水供給が実現する事となった。特に四国・瀬戸内地域では1,000年来の悲願であった讃岐平野への導水を図る香川用水の完成や宇摩地域(四国中央市・新居浜市)140年来の夢であった愛媛分水(銅山川分水)といった住民の宿願を実現する事業が完成し、現在も上水道や農業用水、工業用水道の供給に大きな役割を担っている。また、利根川水系の水資源整備はBODが40ppmという絶望的な水質汚濁に悩まされた隅田川の汚染回復にも役立っている(詳細はダムと環境を参照)。さらに筑後川では筑後大堰の建設を機に公団と久留米市などの流域自治体が共同で日本住血吸虫症の撲滅運動を実施、長年に亘って住民を苦しめた風土病を2000年(平成12年)完全に根絶させた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
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